人と自然がつながるヨガ

大阪、神戸、明石 ヨガインストラクター Kuppe (クッペ)の活動記録

東北ボランティアの経験、そして熊本へ。

来週ようやく熊本に行きます。

 

5年前、衝動に駆られ一人で東北へボランティアに向かいました。それまで東北には一度も行ったことがなく、知人もいませんでした。

 

電車は途中まで、その後振替輸送のバスに乗り、南三陸町の漁港に降り立ちました。
大きな瓦礫の山が点在していました。

 

目的地の避難所まで数キロの道のり、歩いて向かうことにしました。途中雨が降り出し、護送車が何台も走るのを横目に見ながら、小高い坂を登りました。

 

綺麗な海が見えました。

 

坂の途中にお家があって、残っている家もあれば無くなっている家もありました。それまで誰もいなかったけど住民の方が見えドキドキしました。

 

部外者の自分に一体何が出来るのだろう?迷惑にならないだろうか?その頃からテレビを持っていなかったので、そこで何が起こったかピンときていない、能天気な自分もいました。

 

目的地に着いて、沢山のボランティアさんがいました。マッサージが出来ますと伝えたら、芝生の上にターフを立ててくれて、パレットを置き、マットを準備してくれました。消火栓を利用して簡易に作られた温泉の隣で、おじいちゃんやおばちゃん達にマッサージをしました。

 

皆さん大阪から来た見ず知らずの私に震災で経験した色んなことを話してくれました。

 

元漁師のおじいちゃんの指が曲がったまま硬くなっていましたが、家族を背負って海と向き合ってきた勲章のように見えました。

 

自分の家は大丈夫だったけど、隣の家は流された男性、ボランティア側に回って日々活動していました。

 

仲良くしてくれた女性は、阪神淡路の震災の時に看護学校に通っていたのでその時ボランティアを経験したそうです。震災後すぐに東北に入り、この土地が大好きになったのでこのまま住み続けますと言っていました。

 

夜は、テントで寝ていました。夜中に地響きがして大きな縦揺れの地震が来ました。まだまだ余震が続き、皆不安な夜を過ごしていました。

 

現場では、刻々とニーズが変わり、それに柔軟に対応している人達が印象的でした。

 

短期間の滞在でしたが、温かい東北の皆さんとの出会いが宝物になりました。

 

帰りのバスの中、津波の爪痕が痛々しく残るその風景を見ながら、涙が止まらなくなりました。行きは何も感じなかったのに、帰りには私の中に何かが芽生えていました。

 

翌年からは、東北の海でビーチヨガがしたい!!という想いが高まり、当時まだ海開きをする海水浴場がほぼ無い中で、気仙沼大島で海開きをするという情報を見つけ、なんとかこちらでビーチヨガをさせてもらえませんか?どうしてもやりたいんです!!と懇願しました。すると運良くイベントの中でビーチヨガをさせてもらえることになりました。以降、毎年訪れています。今年は7/30に行ってきます!!

 

 

そして来週、熊本に行きます。
相変わらずの単独行動で、個人での活動は受入れていませんという先方の声。そこをなんとかと懇願したら、益城町の避難所でマッサージをさせてもらえることになりました。

 

やりたい!!という気持ちがあれば、なんとかなると思います。もちろん迷惑をかけないことは大前提で、ただ結果が出るまで考え、行動することを繰り返せば、たいていのことはなんとかなると思います。

 

7月はボランティア月間、私ができることはちっぽけだけど、今できることに尽力するのみです。